貴方はなろうと意図した者になる。
弱い心は「環境」というお粗末な言葉の中に逃げ場を見出そうとするだろうが、神聖な心は「環境」のせいにする自分を嘲るだろう。
神聖な心は自由なのだから。
時を操り、空間を制し、「偶然」という自惚れた詐欺師を震え上がらせ、専制君主であった「環境」を王位から退け使用人へと貶めるのだ。
人の意志その力は目には見えず、不滅の魂から生まれたもの。
人の意志はどんな目的地への道も切り開く。
たとえ堅固な岩壁が立ちはだかっていようと。
後れをとっても焦ることなく、知りたる者として待つがいい。
神聖な心が立ち上がり号令をかけるなら、神々はそれに従う用意ができている。
これは、100年以上前にジェームズ・アレンが遺した『As a Man Thinketh』(邦題『「原因」と「結果」の法則』)の一節。
「神々」とは「宇宙」「世界」「この世の中」と思ってもらえばいい。
心が身体を動かし、世界をも動かすのだから、焦らず信じて進もう。